IE9ピン留め
恩の対象
人様にお世話になった、助けてもらった・・そんな感謝せずにはいられない相手に対して、私は、「何かお礼を」だの、「お返し」、だのと思う。返せるものはその人に返したい、と思う。感謝を添えて。場合によっては頭が上がらないこともある。

これが、夫の場合、ちょっと違う。自分の窮地を救ってくれた人に対して、もちろん深く感謝はする。でも、その救ってくれた人に、「お返し」とは思わないようだ。当然、お金とか物などを借りたのであれば、それは返すのだけど、自分の窮地を助けてくれたことへの純粋なお礼の形が違う。

「自分がされて嬉しかったことは、また別の自分と同じような人がいたら、その時、今回自分がされて嬉しかったようにしてあげればいい」

と、夫は言う。

大変大きな考え方だ。

そんなわけだからか、夫は相手に感謝していても、あまり「謙(へりくだ)る」という感じがない。私は、相手が私のために時間を割いて、手間をかけてくれたことに、「面倒かけちゃった」「すまない」と思うと、お返しでもしなきゃ失礼とも思う。それでも、お返しが満足にできず、「は〜」とため息をついていた時、夫が私に言ったのが上記の言葉。

ま、理屈はわかる。言われたその時は、とても救われた。が、しかし、夫の考え方も正しいとはいえ、ここではここの筋の通し方ってのものがある。

さらに、これまでの夫たちを見ていると、お返し、は、相手がいつか、自分に助けを求めてきた時すればいい、というような、タームの長さも見受けられる気もする。いつも人を助けてばかりで、どんなにたくさんの人に貸しがあっても、恩を着せず、恩に頼らないような人は、一目おかれる尊敬の対象ともなる。そんな人は、あちこちに、その人の名前がついた子供を持つことになる。

さらに・・「依頼事は、無理して受けるならしなくていい」というのを、特に私によく言う夫を見ていると、頼み事をされた側、というのは、受けたら、それは受けた側が「すべきこと」。「してやる」感覚で、後で感謝される立場になることを当然だと思うのはとんでもないことだ。

私は、依頼を受けたのは自分の意志で受けたとはいえ、やはり依頼をしてきた人のためにするのだから、依頼事を成し遂げた暁には、感謝されてもいいと思うし、お礼ができるならしてもらったっていい。

身内同士の頼み頼まれ事ならともかく、他人様に面倒かける事には、土地のやり方を受け入れるのも大事。中元、歳暮、その他、何かある度、手みやげや、菓子折りなどの慣習。私もできる限り、「お返し」を用意したり、いただいたりしているうちに、夫もいつからか、菓子折りを持って行くことを覚えました。そのタイミングは微妙ですが「●●さんにはお世話になったから、プレゼントしたい」と言いつつ、私に菓子屋を聞く姿には、「これが日本人ぽいと言われるわけか」と思わず吹き出してしまう。菓子折り、という日本の便利な「プレゼント」。夫から菓子折りを受けた相手は、そりゃびっくりするそうです。

人に頼み事をする時は、受けてくれた人に深く感謝し、できればお礼もし、依頼を受ける側の時は、「自分の人助けは、またそういった人助けをする人を増やす」と、大きな心で依頼事を受ける、な〜んてことができれば、あっばれなんでしょうねー。

(fatou@吉)

by gattsaf | 2005-10-01 14:22 | セネガル人ってさ | Trackback | Comments(1)
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Commented by マギーチャン at 2005-10-22 06:14 x
遠い昔、留学中だった夫が、大切な親戚の訃報を聞いてもセネガルに帰れず、「恩を返せなかった」と嘆いていたとき、私が言ったのが、まさにfatou吉夫と同じこと。懐かしく思い出しました。
それにつれて思い出したけれど、昔、夫婦で友人宅に遊びにいくたび、「手みやげをどうしよう」と騒ぐ私に、「訪ねていく事自体プレゼントのようなもんなんだから、無理して何か持っていかなくてもいいんじゃない?」と言っていた夫。今では必ず「何持ってく?」と聞きます。やっぱり日本人ぽくなってるのね。
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