人気ブログランキング | 話題のタグを見る
想像以上
GattSafができて、もう5年は楽に越える時間が経った。HPにしてからは、セネガルを身近に生活する方々から、時々メールもいただく。

そのメールで目立つのは「相談」だ。かなり笑えない内容。
GattSafは2人で運営しているが、マギーチャンはなんせ4人の子育てに真っ最中なので、一人息子の子育てを、ある意味適当にやっている私が、返信させていただいている。とはいえ、私に法的知識が豊富だとか、お役人に人脈がある、そこら中の在日セネガル人にもの言える・・なんてことは決してないので、ほんと、たいしたアドバイスどころか、聞き役にしかなれないのが、毎度申し訳なく思うところ。

私も夫と暮らし始める前までは、自分の想像を越えるネガティブな状況に対して、「自業自得」と心の大半は思っていた節がある。今も、無知の代償、については、払う必要はあると思う。
けれども、トラブルを解決するまでの苦しみ、なんとか解決した後の傷の癒し、解決の糸口も見つからない絶望感、虚無感、などの思いで過ごす人の気持ちを慮れる今は、「私にはわからない世界」とか「自業自得」とか「関係ない」とは、流せない。私自身、一人で思い悩み、自責の念にかられ過ごした時間は、孤独になることで、「寂」と「悲」「虚」「疑」のスパイラルだった。確かに、気持ちの傷は、時間が癒してくれる。でも、その苦しみの中にいる人は、いずれ楽になることに希望を見いだすより、そのまっただ中の苦しみから、即、抜け出したいのだ。「いずれよくなる」「もっと苦しんでいる人はいるんだよ」という慰めを聞き入れる余裕はない。

いただく相談メールに書かれるセネガル人は、善良な人間の常識をはるかに越えた、狡猾かつ、厚かましい人間だ。読んで吐き気がするほど、人の良心や尊厳を簡単に踏みにじる。あたかも「日本人はビザ取得に使うもの」「金づるとして使うもの」と道具のよう。そういう悪い奴ほど結婚してしまえば、子供を作ってしまえば、しめたもの、なんて知恵だけはもっている。おまけに、セネガルの自分の家族には、真っ当な思いやりを持っていて、そんな家族への思いを、結婚したら自分にも向けてもらえる、なんて錯覚すると、大変なことになる。

日本にいなくとも、セネガルにやってくる日本人を次々と騙しつづけているセネガル人もいる。もうこいつに関しては、以前も書いたので、「近づくな!無視しろ!」と顔写真でも張り出しておきたいくらいだ。

純粋にお互いに惹かれ合って付き合い、結婚、ということになっても、それまで違う文化で生まれ育った人間同士が家族として暮らして行くのも楽じゃないのだ。大使館員に目を付けられている奴や入管法に引っかかるような人間と、どうして未来を築いていけるのか。

最近、親が子を殺す、子を持つ親でありながら、他人の子は殺してしまうなんて、尋常じゃない事件ばかり目立つ。ニュースをみて思う。「まさか」の想像は、自分の常識の範疇内でとどまらせてはいけないのではないかと。異常者、バカ者、迷惑野郎、みーんな自分の痛みには敏感でも、他人の痛みには鈍感どころか、不感症。その不感度に、私は良心を信じていない。

「まさかここまで悪い奴とは・・」なんて人に関わっちゃったら、いつまでも一人で悩んじゃいけません。話せる人に、メールでも電話でもしてみましょう。もちろん、話す気力が出てきてからでいい。つらい時間を孤独に過ごすことはない。正しく生きていれば、勧善懲悪は生きてくると思う。長い目でみれば。

(fatou@吉)
by gattsaf | 2006-02-19 12:14 | セネガル人ってさ
<< 誕生パーティ 私は私 >>