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心痛い
子供に関するひどい事件は、あとを絶たないです。今朝の新聞1面トップニュース、中絶胎児の一般ごみ処理・・また心痛みました。なんとも・・。
言いたいことはたくさんあります。

子供。親にさせていただいて、子供の痛ましい事件は、他人事に思えず、涙してしまいます。

なんとかならないのか。

セネガルに、痛ましい事件がないとは、言い切れないかもしれない。
でも、あの風通しのよい人付き合い、そして多数が関わる子育てが、なにか参考にはならないんだろうか。
密室。断絶。そんな空間や人関係が、事を深刻に歯止めがかからないようにしているように思う。

つらいなあ。つらい。

私も、息子に当たってしまうこともある、たいした親ではないけれど、それでも、一親として、息子が関わっていく社会の闇の部分、大きくしたくはないです。

(fatou@吉)
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by gattsaf | 2004-07-21 00:59 | ときどき日記
割礼
昨夏、夫は、息子がセネガル滞在中に、割礼する計画を密かにしていた。もう少し滞在期間が長かったら、危うく息子はさせられてしまうところだった。

セネガルで、割礼する男の子は、白い三角巾のような布を頭に巻き、白衣のような服を着、細い枝(棒?)をもって、割礼の場に向かう。ちょうど、7歳くらいの甥っ子が、割礼に行く前に、私に会いに来てくれて、私は彼に触れてはいけないらしく、がんばれよ、と、彼が持っている棒を介して握手したものだ。

しかし、割礼・・。

私は、自分が育った環境に、割礼する文化がない。そのため、ネットで割礼の意義を調べてみる。もちろん、医学的に有効なのかどうかが、焦点。当然だろう。痛いのだ。まわりにゃ、してない人がいっぱいいる。みんな元気だ。
おまけに、インフォームドコンセントができない我が幼い息子の代弁者として、少しでも、「彼がモノを言えたら」という立場でいたいではないか。

夫は、イスラム。当然、男子たるもの、割礼をするものだと、信じている。100歩譲って、息子がセネガルで生まれ、セネガルで育ち、セネガル文化の中だけで、生活し、死んでいくなら、息子の意思のない割礼も、考えなくはない。・・いや、やっぱり母親として、反対するか…?

息子は、日本で生まれ、生後ほとんどを日本で暮らし、日本人の母のもと、生活様式も文化も、ほとんど日本式で育っている。
その上、割礼をしない日本人男性、成人になり、割礼をしていないから何か問題でもあるのか、といえば、個々人の問題はさておき、ないのだ。
おまけに、割礼について調べてみると、世界的には、割礼することは減少傾向、とのこと。その他のことについては、

http://www.caretheworld.com/japanese/faq.html

↑このページの中にある、割礼について、をご参考ください。

昨夏、ドイツの親戚とも、この割礼については、話をした。
親戚は、夫兄のドイツ人妻。ドイツで生まれ育っている息子がいる。クリスチャンのドイツでも、割礼は一般的ではない。日本と同じである。
「彼(息子)は割礼の痛みの意味がわからないだろう。学校の彼の友達は、誰もしていない。しなくていい痛み。なんで彼だけがしなくちゃいけない?理由が、パパがセネガル人だから、だけでは、納得がいかないだろう。その痛みの意味が理解できるようになったとき、自分でするかしないか選べばいい。親の一存でさせるべきではない。そう思う」と、親戚は言う。
まったく同感である。

割礼をしないと、死んでしまう、病気になってしまう・・そんなことは、ない。
それよりも、割礼のショックで死に至るなどのリスクが38%もある、ということの方が、問題ではないか?リスクは大きすぎやしないか?10人に3人以上の確率…。

セネガルで、白衣に身を包んだ甥っ子。割礼時、泣かなかったと聞いた。別に泣いたっていいのだが。
ただ、そうやって、痛みに耐えれる意識、割礼する意義を幼いなりに、自分でしっかりもっていれば、それはもういい、と思う。痛みは割礼時だけではない。その後、1週間くらい続くと聞く。そういったリスクも、自分で納得がいくなら、いい。痛みがひいて、完治すれば、支障がないらしいので、いい、と思うだけ。

それでも、ふと、頭をかすめる。「あの甥っ子、世界的に見れば、割礼をしない人が多いことを知ったら、それでもするのかな。割礼をしない、という選択ができれば、したのかな」と。セネガルから出たことがなければ、わからないだろうけど。

女性でも、割礼をする儀式を行っている人たちがいると聞く。セネガルでもつい5年くらい前まで女性の割礼をしていた地域があった。フランスでも、裁判になってましたね。あのニュースでも、女性の割礼をしなきゃならない理由というのは、その文化圏以外の私からすれば、理解しがたいものだった。

今後も私は、「割礼しなければならない」 ことはない、という立場で、いようと思う。息子にそんなハイリスクな激痛に耐えさせる義務はもちろん、権利さえ、私にはない。息子の成長を見守りたい。

(fatou@吉)
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by gattsaf | 2004-07-20 14:23 | サマドム(my baby)
独り言
大変ささいなことなのだが・・・

夫の独り言。なぜか、英語だったり、日本語だったりする。彼が英語、日本語を家で扱うとき、それは、私とコミュニケーションを図りたいのかと、私の中では認識されているらしい(今気付いた)。

でも独り言っぽい。大リーグ中継を見て、「カレハー・・・、モウ、ヤメテオケバイイノニ・・」だの「fuuuuun , ニホンハ、ベースボールバッカリ! ネエ!」、「He is F○○○in, shiiiiiiiiiiittt!!」だの。(ええ、夫はたいそう口が悪い。)

なぜ、母国語「ウォルフ語」じゃないのだ?独り言がなんで外国語でつぶやかなきゃならん。
彼が何を言おうが、無視してはいるものの、私がわかる言葉でつぶやかれりゃー、なんだか気になる。何か、つっこんでほしいのか?あいの手が欲しいのか?・・う〜む。

悩むことじゃないが、かなり、うっとおしい。暑さも加わると、なおのこと、うっとおしい。
それだけ夫が、日本語が使えるようになった、ということでもあるんだろうが、なんなのだ?
その土地に居れば、土地言葉がついつい出てしまうことがある、というのは、わかる。でも、独り言だろ。私に話しかけてないよねえ。たいした内容じゃない分、返す言葉を探す方が、面倒・・・(苦笑)。

独り言。ウォルフ語でつぶやけよ。心の中でやれ。 

(fatou@吉)
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by gattsaf | 2004-07-20 11:20 | ときどき日記
そうそう
BBSでも、ちらり、同じことを言われるセネガリズかいるということで、あらためて、書いておこうと思った。

本国にいるセネガリズは、知りませんが、海外に住むセネガル人、自分たちのことを、セネガリズ以外の人になんやかんや言われるのを、「毛嫌う」。よほど、達観した人でもない限り、たとえ事実であっても「言われても仕方がない」と、さらり言える人はあまり見かけない。

我が夫、そして、その友人セネガリズたち。ほんとに自分たちのことを、特に外国人妻(つまり私たち)に話題にされるのがイヤなようだ。それで、セネガル人夫をもつ外国人妻同士の友人関係を好まない人もいる。それは、ドイツでも同じだった。彼らの言い方だと「トゥバブはわかってない」とか「女はおしゃべりだ」とか言っているようですが、事実を話しているまでなのだ。目の前で起こり、それをどう感じたか、あんたらの知ったことではない。

セネガリズこそ、男のくせに(←ここ、太字、ポイント30くらいで)、何かと人の動向をしゃべりあってるし、セネガル人にからんだ事件、噂、バカ話、セネガリズの間ですぐに知れ渡るというのは、まさにあんたらが、おしゃべりの何者でもないってことの証明だろうが。

我が夫。数年前までは、ガットゥサフに関して、ちょっとやな横目で見てましたね。しか〜し、今は、もう見て見ぬふり。ま、何を書かれているのかは知らないんだと思うけれど、ガットゥサフを続ける妻が、自分に悪く動くことはあまりない、というのがわかったからか。

以前も書きましたが、セネガルで、困っていた日本人に助言した私を、夫が責めた、という一件。あの時、夫の友人B(日本在住)は、「セネガル人も、日本で、セネガリズ同士のアドバイスを1番に聞くだろうが。同郷を求めるだろうが」、と自分たちに置き換えて、妙に、私の立場を理解していました。彼らだって、日本人のこと、ぎゃーぎゃー言いまくっているということなのです。

だから、それがひとたび、逆の立場になったとき、末恐ろしくなるに違いない(笑)

バカな人は、国籍で決めるものじゃない。確かに、笑える行動の傾向はあるけれど。夫の周りの「アホだなあ」と私が思うセネガル人。夫も時々、ここの部類に入る。以前はアホで困ったセネガル人の代表だった夫(笑)。夫は、そんな自分自身を、今、恥ずかしく思っているんだろう。それは、自分と同じ失敗をしていたり、自分以上に困ったやつらを見て、救いの手をのばすどころか、「同じふうに見られたくない」というシーンが多くなったということ。8年もいれば、少しは学び、進化もする。

それでも、私は畳みかける。「あんたも同じなのよ!!」と。

まあ、夫は、セネガル人をひとまとめに見られるのもイヤだが、アフリカンひとまとめに見られるのも、とーっても嫌がっている人でもある。うそつきアフリカンミュージシャンのために、かなり迷惑を被っていますので。

私も気をつけるようにしている。「○○人」とひとまとめにした言い方は、時に、事をひどく険悪にするものなのだ。もちろん、それを逆手に、売られたケンカ、応酬するんですけどね(笑)

(fatou@吉)
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by gattsaf | 2004-07-18 12:13 | セネガル人ってさ
どこへ行っても変な人はいる
見て見ぬふり。これは、今、どこでも目に付く、イヤなしぐさだ。それが、たとえ、「人として、大人として、言わなきゃいけない、しなきゃいかん」というシーンでも、「恥ずかしい」「怖い」「あとで面倒」・・こんな感情が、堂々と優先されることの、なんと多いことか。

セネガルでこんなシーンがあった。
5歳の姪っ子。愛らしい彼女を見た、20〜30代の通り掛かりの男が、姪っ子を見て「なんてうまそうな子だ。こいつが20歳になったら、絶対やってやる」・・へらへらといやらしく笑いながら言う男。そこにいたのは、義姉。姪っ子の母親ではないが、だまっちゃいない。しっかり者で頭のいい彼女。「なんてこと言うの!」それでも、セネガルというのは、男、というだけで、何かといばってられる国でもある。ま、あほな男ほど、女性にいばるんですけどね。

案の定、その変態男も、義姉にくってかかる。「やってやる、と言って何が悪い」。その時は近所の奥さんたちしか、まわりにいなかった。めったに声を荒げない義姉がどうした?!、と、すぐに近所の女性陣も集まり、わいのわいのとその男を責める。しかし、男は、相手が女だから?、その男が愚かだからなのか、ひわいな言葉を慎む様子などみじんも見せない。

もちろん、義姉。絶対ひかない。ひいちゃいかんからだ。立場の弱い女性だろうが、相手が変態だろうが、そこはひくべきじゃない。同感だ。

で、状況は悪化していき、その男に羽交い締めが必要になった頃、ようやく、わが夫がそこに帰ってきた。やっと、成人男性の登場というわけだ。変態男も、ようやくその場を去る。

自分の立場は弱い。相手は、ちゃちい権力や、妙なプライドを持った頭の悪いヤツ。ラチあかないかもしれない。自分に危害が加えられるかもしれない。
それでも、がぜん立ち向かう。絶対、ひかない。今後一切、この姪っ子に近寄るな。そんなこと考えるな。そう言える。それが立派。

変な人はどこでもいる。ただ、「言っても、まともじゃないから、話にならない」と最初からあきらめることはないだろうか。「話してもむだ」。私も何度となくこんなセリフを吐いてきたが、これじゃ、なーんにも変わらない。相手を自分の思い通りにするなんてのは、理想のまた理想。相手にショックを与えればいいのだ。会話のキャッチボールはあきらめて、ボールを投げつけてやればいいのだ。
普段おだやかな義姉が怒った。厳しく叱責した。相手がバカな威圧をしてこようが、ひかなかった。相手の男も、彼女の食らいつきが記憶に残ったはずだ。それだけでいいのかもしれない。更生とはいかないが、その変態男は、自分の変態ぶりを責める人がいる限り、変態に抑制がかかるのは、まちがいないのだから。

その後、義姉、泣いていた。くやしかったに違いない。怖かったのもあるかもしれない。それでも無視しなかった彼女に拍手。私も涙ぐんでしまった。

(fatou@吉)
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by gattsaf | 2004-07-11 23:55 | ときどき日記