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ベルトはムチじゃない
あれから、多少落ち着いて、夫もそれなりにいい訳をし、
静かに暮らしていたつもりでした。

が。


先日、夫は自分のベルトをムチとして使いました。息子に。
それを身体張ってかばった私の腰にも腕にもあざができ、皮がめくれました。

まだ自分コントロールきかなくなる夫。
それも、私が息子に毎度叱るのが頭にきて、
息子に怒りが行ったらしい。絶対私への当てつけだ。

夫は息子をキツく叱る時は、お尻をぶつ。
今回、それがエスカレートし、尋常じゃなかったので
私は間に入った。
夫にふっとばされ蹴られても
息子に少しでも夫の以上な暴力が及ばないように
息子の上に覆いかぶさった。

私が身体張ったからか、遠慮なく奴はぶった。


絶対許さん。

そう思ったものの、こいつの怒りが静まるまでは、下手に動かない方がいい。

言いたいことを言わせ、とにかく息子に手をあげないよう
息子を従わせ

夫が落ち着いた頃、買い物に出るフリをし家を出た。
家出するつもりはなかったが、バカな夫から離れたかった。
息子も夫のそばに置いておきたくなかった。


そして、「手をあげるようなことがまたあれば言ってください」
と言ってもらえていた夫の恩人宅に走った。


恩人は不在だったけど、私の話を聞くなり、
すぐに夫に電話されたようで

夫は泣いてました。と。
非常に後悔している、と
夫の様子を私に伝えてきた。


その後、夫から電話があり、ずっと謝られたが

どう懺悔されたって、息子も私も打たれた跡が消えるわけじゃない。
どんな理由をもっても、あんなに打たれる理由にならない。

腹いせに、自分の服を買ったり、息子においしいものを食べさせたり
気を紛らせてから帰った。


夫にはしかと息子の打たれた跡を見ろ、と言った。
言うと、息子の打たれた跡は見たが
私の傷跡は改めて見ていない。

こんな傷ができるほど、息子を打つつもりだったのか?
私が覆ったからああも打ったのか?

と聞いても無言のままだった。


叩いた跡をみると悲しいと。
後悔している、と、言う。

息子の顔にあった夫の手型は3日ほどでとれた。
足も湿布をして寝かせていたけど、それも3日程で済んだ。

息子はケロリとまた毎度同じことを言わせ私に注意される。


夫はトラウマという言葉を知らない。

夫も私と同じように注意しているつもりだろうが
夫が多少強く睨むと、息子の目はおびえている。
すかさず私が口を挟む。
すると「うるさい」と私をもまだ睨めるこの夫。

十分怖いんですが?


トラウマの意味を話したが、今イチなようだ。
どれだけのことをやらかしたのかわかってない。


私の身体の傷もあざもまだ残っている。


同じ目に遭わないと、夫はわからないんだろう。
身体の傷が癒えても心は癒えないってこと。

そして
暴力の恐怖による服従の屈辱を
夫のような男はわからない。




2度と同じような事があってはならない。
同じような事が起こりそうな予感がした時点で
夫からは離れるつもりだ。

甘いか?

夫にも同じことを言ったが

「二度としない」

信じられるか?

これまでだって何度私に謝ってきたというのだ?
自分への誓いなぞ守った事がないのだから
「絶対しない」なんてほんとに思うなら
生保1億円くらい掛けてみろってんだ。
誓いを破ったら、死んで詫びる覚悟として
実際にそれくらいするならば
ちょっとは信じてやる。


ほんとに本音。

恥なことだけど、葬り去りたくないことだったので
ここに綴ることにしました。


今はまともなつもりなんだと思う。
まともな接し方をしてくれている夫。


狂気って、一度出せた相手には
容易くでるんだろうな。


息子はまだ父親に未練あるのかな。


(fatou@吉)

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by gattsaf | 2008-07-17 00:31 | ときどき日記
外国人への特別視
Excite エキサイト : 社会ニュース

先週末のこのニュース。

日本の教育人の意識の低さも毎度驚く。

「外国人学校に入れる」

と母親が言えば、その後、放置なんですか。

他、いろいろ思いましたが、割愛。


日本人は外国人に対して妙な遠慮をし過ぎだと思う。

ここは日本であって、日本の法に基づいて管理されて当然。
それを、「外国人だから」って、体よく放任。

教育者なら、自分の管轄に外国籍児童が入ってきた時点でもいいから、
その外国について、
児童の教育について、

法律も、教育についても、勉強すべき。

うちの近所の年寄りなんてのは、明らかにDVだろうがって時も

「あ〜。夫婦喧嘩か。旦那さんのやり方がそうなら・・」

と助ける意識まるでゼロで引き下がったことありだ。
悪いが恨んだ。

この辺の気質というのか、世代の違いというのか、
男尊女卑、変な亭主関白が当然の感覚。ものすごく根強い。


うちの夫婦喧嘩が激しかったものだから、
お隣の区長さんも、何気に

「セネガルではそうなのか?」

と聞いてきたことがある。(ポイント、そこじゃなかろう?)

「いーやっ。違いますっ。
 セネガルで奥さんに手を上げようもんなら、
 奥さん側の家族が黙っていないもんです」


いつぞやか、夫姉から聞いた話をしたものだ。

実際、セネガルでは、男性が圧倒的に偉く扱われるが、
強いマダムは多数いる。
やはり、そういうマダムは、きちんとした教育を受けているし、
高等教育を受けている女性を娶った男性は
複数の妻を持たない傾向が事実あるのだ。



なのに、その区長さんさえも、常に夫寄りの立場を維持する。


なぜ????


外国人って、そんなに「特別」なものですか?

ここが日本なら、日本の法律は立派に適用されるんです。
(一部、治外法権な方々がいらっしゃいますけど)

彼らは、日本国に入る時、ちゃんと

「日本の法律を遵守します」

とサインもするんです。

夫を招聘した私だって

「遵守させます」と

一筆書いているんです。


そこを知ろうとする人は少ない。

なぜか、相手の国の慣習や法律を出してきて

「仕方ないな」としようとする。


そういう意識が、今、子供にも被害を及ぼしている。


そう思う。

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by gattsaf | 2007-07-09 10:22 | ときどき日記
DV
エリート夫の遺体を解体し、街のあちこちに捨てた元お嬢様妻が捕まった。

遺体をバラバラし、ゴミのように捨てる事件が最近目立つ。その中でも、この夫婦の事件は、根底にDVがあると知り、ズンとした重みが胃にくる。異常な犯行とはいえ、沈痛な顔で連行される妻には同情する。DVの感じ方は千差万別だろうが、生き方を否定され、暴力を振るわれ、しかも、それらはすべて自宅という密室で行われていた、という状況は、勝ち気なお嬢様にしてみれば、受け入れられなかった。そして殺してしまった夫の遺体は、人に見えなかったのか、と勝手に慮る。

夫婦の問題は外に言いにくいものだ。他に話したところで、墓穴を掘ることもあるんだもの。世間一般の理想にしがみつけばつくほど、一人で問題を抱えてしまう。外には、プライドや世間体、意地などが邪魔をし、当の相手には身内であるがゆえの妥協したくない気持ちや甘えも入りまじり、ため息さえもでなくなるような悶々とした日々を過ごすばかり。自分を悩ませる相手が、外国人とか特殊な職業とかの世間一般から分かりにくい立場だと、さらに一人で耐えがちになる。

性格にもよるだろうが、夫婦関係がこじれたら、「格好悪くたっていいっ!」と、なりふり構わずやり合うのがいいような気がする。スマートにその場をやり過ごしたって、なんの解決にもならないと思う。腹の底から声を張り上げ、鬼の形相で「言い合う」のだ。じたばた、かんしゃくもOK。取っ組み合いは、夫婦同士の体格や腕力を考慮した上でどうぞ。ご近所には一時ご迷惑をかけるだろうけど、それも「何かが起こっている」と近所に知ってもらえば、ここ最近の事件のようなことにはなるまい。私が今かろうじて夫と共に続いているのも、なりふり構わずやり合い、そして開き直ることができたからかもしれない。

場合によっては、行政に頼るのも当然だ。この時、心ない警察や公職員がとんちんかんな対応をしたら、そこに怒りをぶつけよう。最近は過去の反省から、警察の対応は良くなったと聞いたが、良くなってからはお世話になっていないので、現在どんな対応してくれるのかはわからない。私の経験からは、現場ではなく、署にいる警察官はくそったれ、である。ベテラン面して接してきた刑事は、DV法さえ理解していなかった。最低だった。どざえもんの気持ちにもなった(めったになれないよ)。

そういう未だにくそったれな対応する刑事に当たってしまったら、最後の力を振り絞って、「DV相談担当職員を呼べ!」と叫ぼう。そしてその刑事の名前を聞いておこう。警察というところは、やぶ蛇になりかねないところだ。心身ともにズタズタでどうしていいかわからない私に散々惨状を聞いておきながら、「で、あんた、どうしたいの」「やっぱり奥さんが旦那をうまく操れればいいんだから」だのと、責める馬鹿者が実際いる。さらに、「擁護してやる」と恩着せがましい「生活安全課」もあった。「何人も、DVが許される理由はない」と自分に言い聞かせなきゃ、塩をかけられたナメクジになるところだ。

電話相談でも、内容や管轄を理由に、結構たらい回しがある。女性職員が聞いてくれるが、その職員の通念を押し付けたり、切羽詰まっていても冷静に話したりすると、「まだ余裕がある」と勝手に判断されかねない。もうこうなると、経験者にしかDVはわからないのかー!?と嘆きたくなる。

たくさんの女性が犠牲になって、行政や警察もようやく事の深刻さがわかってきたようだけど、DV意識のない男が未だ多いのも事実。こういう無知は犯罪だろう。

とっさの殺意。私もかつて1度だけ持ったことがある。我が顔が自分とは思えないほどに殴られたときわき起こった自分の殺意は、正当だと思ったのだ。殺気は私に背を向けていた夫にも伝わり、夫はとっさに振り返って、棒を振り上げていた私を止めていた。この時以来、ドラマの中の憎悪から起こる殺意には、少しばかり共感できるようになった。自慢じゃないが。

私は夫とうまくやれず、たくさんの人にご心配と迷惑をかけた。どこまでも格好悪かった。その時の自分は本当に不細工で、着飾ることさえ止めていた。どうでもよかったのだ。それがその時の私の身の丈。

それでも、時が経てば、「忘れる」という特効薬が効いてくる。傷跡は残るから、出会った頃のような浮かれた仲にはなれないけれど、それでも、過去に大嵐があって、それをなんとか乗り越えた夫婦、というものができている。


DVが引き起こす不幸が、広がりませんように。心の底から願う。


(fatou@吉)
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by gattsaf | 2007-01-13 18:31 | ときどき日記
「忘れる」こと
「忘れる」ということが、人としての「退化」と言うなら、私は、夫と暮らすようになって、確実に退化している。

確かに忘れたくないことや、憶えていたいことでも、記憶にとどめられないのは、悲しいけれど、その状況を、どう転んでも肯定的に考えれないとき、「忘れる」という術は、とっても大事。
忘れる以外、すがるものはない、というか。

私は、夫に顔をぼこぼこにされ、1週間、会社にも行けなかったことがある。漫画で、殴られるシーンで星が飛んでいることがあるが、あれは正しい。殴られていたとき、私は確かにチカチカと星が飛ぶのを見た。その後、私の顔が原型をとどめず、夫は、自分のやらかしたことの大きさに恐れをなしたか「別れよう」とうなだれていた。

ふざけるな。ここまでされて別れてなるものか。やられ損もいいとこだ。私の顔を見ろ。罪を骨の髄まで感じろ。怒濤のごとくそう思いながら、大きく「NO!!」。
その後、自分の顔を見て、私は泣きに泣いた。私はここまでされなきゃならない人間なのか。見るも無惨な我が顔。とても自分が鏡に映っているとは思えないほど、腫上がっている。

私は、身長190cmを超える男に、身体をまたがれ、力任せに殴られたのである。殴られている間、私はもちろん大声で助けを求めているし、「殺されるー」とも叫んでいる。しかし、近所というのは、なかなか来ないもので、暴力がおさまり、しばらくしてから、家の前に住んでいる大家さんが、様子をみに訪ねてきた。時すでに遅し。

この時の暴力が、一番ひどかった。しかし、夫の暴力はこの時限りではなく、この前後、時をおいて、何度か起こっている。

まともな生活をしている人たちは、「それでもなんで一緒にいるの?」と私をいぶかる。

身体を痛めつけられ、屈辱を受ける。この時、私の頭の中は真っ白だった。何も考えられない。現状を真正面から見ることができない。自分の身体が痛んでいるんだから、ごまかせないのだけど、どこまでも受け入れたくない現実。暴力による屈辱。それが、仮にも反対する家族と縁切ってまで自分が選んだ夫によるもの。

暴力を受けた私が何も考えられなかったのは、一時ではなく、数日にわたった。前向きになるどころではない。ただただ、忘れることに、私の脳は全力を尽くしたのかもしれない。

だから、夫と今後どうすればいいのか、なんて、建設的なことは考えることもできない。かろうじて、仕事上、迷惑をかけないようにするための最低限のことはしたが、自分が生きる方向性は失ったまま。

「私自身」を失ったまま、ご飯を食べ、仕事をし、かなりの月日を要して、少し、自分が今後どうしたいのかを考えられる。それは、身体から痛みが消え、殴られてるシーンをフラッシュバックしなくなり、夫を信用しようと思えるようになった後。
最悪なことに、痛みが消えてまもなく、大なり小なりDVを食らうこともあった私。DVというのは、ものを壊したり、ひどい言葉を浴びせられたりすることも含むらしいから、私は十分値したひどい日々を過ごしてきている。

人生を建設的に考えず、ただ日々を過ごす。そうしている間に、忘れる。
息子と出会ってからは、そんな空虚な時間を過ごすことも減りましたが。

というわけで、私の物忘れがひどいのは、不幸な生活のせい(笑)

(fatou@吉)
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by gattsaf | 2005-02-11 15:35 | ときどき日記